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実家で早起き 寝汗

最近観た情事映画のなかで、これ見よがしにポンと置かれたセリフで知ったことには、西洋文学において登場人物の秘密というのは はじめは読者に隠されているもの(たぶん。)らしい。
最近聴いたアルバムのなかで、気丈クイーン シーナ・リンゴは 永遠の女の子デュオ・PUFFYに「やり方次第で必ず楽しめるのよ なぜならほら人生の主役は私 最優秀賞受賞!」なんて歌わせていた。
好きなタレントのブログをただ楽しみに読んでて思うことには、彼のブログの読者は決して彼の友達ではない。

何かひとつ大きな秘密があって いつもそれを抱えて過ごさなきゃいけないとしたら、最後に身動きとれなくなっても、その秘密に振り回され続けた自分を思って、(誰かにそういう自分に気づいてもらえたらなおのこと、)まるで人生に一貫性があったような充足感があるんだろうな。「振り回されすぎだろー馬鹿かわたしはー」って落ち込みもそりゃ同時にあるだろうけど。それすら手応えとして悪くなさそう。
(ただ、わたしにとっては秘密の共有てのはエロチックな気分を盛り上げるくらいのもん、って感じだぞ。それってすごいけど。)

わたしの好きなヒロイン・ヒーローは内緒事も多いけど、「別に隠すつもりなんかなかったよ。いつでも全部話してあげれたんですよ。聞きたいならね」ってアッケラカンと言ってくれそうで わたしはそんなのってすごいズキュンとくるのだよー。
敵わないのです。ファンに成り下がったわたしには、もう遠くて遠くて。ごめんなさいなのです。
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お得意の足し算戦法

さーて 小笠原気団が恨めしい季節となってきました! コモエスタース!ボンジョールノ!

2、3年前まではそんなこともあんまりなかったと思うので、20歳越えてから意識し出したんだと思うのですが、最近のわたしは自分にまつわるキーワードとかキーアイテム?みたいなものを決めたい欲があるみたい! (久しぶりに文章書いたら、マァ!なんてまどろっこしい文章なんでしょう!)
郷愁、とかに近い感じなんだと思うんだけど。まあわたしの例をひとつ挙げてみると、昔ちっちゃい頃 ドングリ好きでよく拾ってたよなー、どこ行っても拾ってたしベレー帽深く被ってドングリごっこをしたのも印象深い!そういえば 初デートも秋で 街中でドングリふんずけてはしゃいだな、いまでもドングリ見るとテンションあがっちゃうし……「あっ! わたしの節目節目にはドングリがキーアイテムとして出てきてるんじゃないの? キャーますますドングリ大好きー」
……てな具合です。ドングリにまつわるエトセトラってわたしを形成するものに必要不可欠ってヨ・カ・ン!って感覚…伝わりますか?
何か昔から好きなもののモチーフでも思い浮かべて読んでみてもらえると…。

最近そういうキーアイテムを捏造する傾向にあります。ナンデモカンデモ、挙げ句には月から星まで。
今が節目であって欲しい!という焦りの表れでしょうか。やだなぁ。焦っちゃってわたしったら。
ほんとの人生の節目って、なかなかそのときは気付かないもんなんじゃないかなー、後から振り返ればあの選択って大きかったな、ってもんなんじゃない? とほぼ確信めいてる21歳11ヶ月、焦り時、ですわ。

ちなみにキーアイテムは素朴なものほど自信を持ってはしゃげます。水玉柄もハート柄も好きだしバラの花も好きですよ。グミも不二家のチョコレートも大好きです。

ノスタルジックに排泄行為

ホホホーイ! ひぇっひぇっひぇっ、ご無沙汰してます お代官様!
青や白のアジサイが咲きはじめ、蛍も飛び交ってますね。京都はいいところです。

最近のわたしは、麦茶を沸かし、朝マックを買ってきてNBAファイナル中継を拝見、コービー=ブライアントのこすいプレイに罵倒を浴びせ、"名匠フィル=ジャクソン"という言葉の響きにときめきを覚え、すくすく育つベランダの植物たちを眺め、世話をして、昔弾いていたバッハを電子ピアノで弾いてみて、なんか疲れて、トイレで瀬戸内晴美(またの名をジャクショー)をオモシローイと読みながら、「あれ、こんなんでいいのかな」と思う日々です。そしてまたわたしは麦茶を沸かす! そして冷ます!

別に瀬戸内晴美を読むのもチャールズ=ブコウスキーを読むのもどっちも仕事じゃないし何の役にも立ちそうにもない。でもなんでかなぁ、「やらなきゃいけないこと」って「多少無理をして」「誘惑にうちかって」やるもの、っていうイメージなんですよねー。高校までのお仕事・勉強がそうだったからかなぁ。「無理をして」「誘惑にうちかって」何かを成し遂げることこそ充実した日々の条件、日々ステップアップ!
瀬戸内晴美は砕けた語り口でスッスッと読める。だから、楽。そしてさらに言えば、書くより読むほうが楽。読むときは先のイメージを沸かせる必要がないからかなぁ。
別にわたしがトイレでエッセイを読もうが、図書館で古文書を読もうが誰も知ったこっちゃない、って話ですよ。やるべきことなんてそんなにたくさんないんだろうし、誰かに与えられるのも癪、ってもんです。ただ成長することと何かを生み出すってことは、実はそんなに関係ないんじゃないのーって思うのです。
成長しようぜって嘘っぽいあざとい感じがします。トイレに瀬戸内晴美を置いてもいいじゃないか。難解な歴史小説を読んでよくわからない格言を拾い集めるよりも、身の丈に合ったエッセイを読んで「あれ?なにこれ」って素朴に思ってきたものを集めていったほうが、自然なんじゃないの、って。
生む最中っていうのはやっぱ踏ん張りどころだと思うし体力使うもんだとは思うけど、生み出すってこと自体は自然で、別に成長のためとかじゃないんです。生み方っていつもいつも手さぐりなんで不安だけど。どうでもいいけど「彼と出会って成長できた」って言っちゃう女ってどうなんでしょう。だらだらしたいしだらだらさせてほしいんですけど。

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26歳・女です。

twitter@koyama1987やってます。メールはこちら

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